ハンセン病


25日に面白い判決がでた。

 ハンセン病補償法の「海外適用」をめぐり、明暗がくっきりと分かれた。二十五日に東京地裁で言い渡された韓国、台湾のハンセン病訴訟の二つの判決。旧統治下の療養所で、隔離政策による被害を受けた元患者の苦しみは同じなのに司法判断は割れた。「どうして差別するのか」と怒りの声をあげる韓国訴訟の原告。「除外は平等の原則上、好ましくはない」と手を取り合って喜ぶ台湾訴訟の原告たち。翻弄(ほんろう)される原告・弁護団や支援者は、困惑の色を隠せなかった。
 午前十時過ぎ。東京地裁一〇三号法廷。先にあった韓国訴訟の判決は敗訴。「請求を棄却する」と裁判長が主文を読み上げると、傍聴席からは「えーっ」「うそやろ」との声がもれ、重苦しい雰囲気に包まれた。
 その三十分後、同じ法廷で言い渡され、別の裁判官が審理した台湾訴訟の判決では一転、全面勝訴。法廷はうれし涙と拍手で沸き返った。地裁の外でも「不当判決」と「勝訴」の旗が相次いで出されることになった。 <産経新聞より>

要はこの判決、2001年に出来たハンセン病補償法の支給対象についての厚生労働省告示「廃止前の旧らい予防法(中略)の規定により設置した療養所」の解釈の問題が絡むのである。


若干歴史を振り返ると
1895年 日清戦争講和条約として「下関条約」締結
    台湾総督府を設置し台湾は大日本帝国の一部に
1910年 「韓国併合ニ関スル条約」によって大韓帝国(今の北朝鮮と韓国)を併合
    朝鮮総督府を設置し朝鮮は大日本帝国の一部に
1930年 台湾総督府らい療養所官制(昭和5年勅令第183号)施行
1931年 らい病根絶とらい病患者の絶対隔離を目指す「癩予防法」を施行
1934年 朝鮮でも「癩予防法」と同内容の
    朝鮮総督府らい療養所官制(昭和9年勅令第260号)施行
    台湾では新たな官制を施行せず
    日本国内(内地)の法である「癩予防法」をそのまま適用し施行


今回の判決は、この1934年の取り扱いの違いを根拠にしてると言える。要するに朝鮮の療養所は癩予防法によって設置されてないので厚生労働省告示に照らし合わせて補償は出来ないということである。確かに正しいような気がするんですが・・・。当時、朝鮮も台湾も大日本帝国の領土だったんです。そこに暮らす朝鮮人、台湾人は大日本帝国臣民だったんです(そういう意味で中国や東南アジアでの占領地や別の国だった満州国とは全然違うんです)。さらに総督府というのは天皇陛下直属の機関で、勅令とは法律と同じ効力を持つ天皇陛下直々の令であるので今回の判決や省告示には疑問を感じます。
確かに旧朝鮮の韓国居住者に関しては1965年の日韓基本条約によって全ての補償は終わっているとも考えられますし、終戦によって帝国臣民ではなくなったのですから補償の対象ではないとも考えられます。しかし大日本帝国→日本国は国として継続されていますし、繰り返しになりますが朝鮮・台湾は植民地ではなく帝国領土であったわけですから元・国民に対して責任を持つべきです。
隔離政策の是非や療養所での非人道的行為についても考えなくてはなりませんが、特効薬がない当時の医療情勢や、当時奇病であったハンセン病の根絶や拡散の防止を図るのは一義的責任は国にあると考えるなら1931年当時の政策として過ちであったかは難しい。ただ、1943年に薬が開発され、不治の病で無くなった後も法律が改正されなかったこと、戦後1953年に「旧らい予防法」が出来た時にもほぼ隔離政策が継続されたことなどは問題であっただろう。


さて今後の裁判の行方はどうなるか・・・・。